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私たちの考え

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一 はじめに

3・11東日本大震災は宮城県民に対し未曽有の被害をもたらしました。

死者9,271人、行方不明・者2,441人にのぼり、いまだに県内247か所の避難所に9,767人の県民が避難しています(2011年7月31日現在)。

避難所で暮らしている県民は、満足な食料を支給されず、プライバシーが守られず、衛生上も劣悪な住環境の下での生活を強いられています。また、様々な事情により避難所に入れず5か月近くも車中生活を送っている人も少なくありません。仮設住宅に移っても、移ったとたんに食料支給を打ち切られ、義援金も支援金も配られず手持ち現金がなく、皆途方に暮れています。80歳を超えた高齢者が入った仮設住宅がバリアフリーではなく著しく不自由な生活を強いられています。最近その仮設住宅でついに孤独死が発生しました。

さらに、宮城県内においても稲わら、牛肉から国の暫定基準値を超え る放射性セシウムが検出され肉牛が出荷停止に追い込まれるなど福島原発事故による放射能被害が深刻化しています。

このように、県内の多くの被災者・被災地の状況は「復興」どころか、いまだ救助の段階にあります。宮城県や各自・治体に対しては、上記現状に対する一刻も早い支援・対策を求めます。それなくしてはいかなる「復興構想」も説得力を持ちえません。

二 復旧・復興は日本国憲法にもとづく住民の権利

同時に、大震災から約5か月が経過し宮城県における復旧・復興が大
きな課題になってきます。実際、県内各地で住民による自発的復旧・復興のうごきが出始めています。生業を営む漁民は漁の再開を、農民は農業の再開を、店主は営業の再開を、また、事業者は事業の再開を、家を壊された者は家の建替え・補修を、一刻も早く実現したいと望んでいます。

被災者が望むのは、大震災以前の生活、事業、生産の復・旧であり、それが物理的に無理であっても住民の意思にもとづく復興です。決して国や県の上からの「復興構想」の実現ではありません。復旧・復興は、日本国憲法の幸福追求権、生存権。平等権、営業の自由、財産権等にもとづく憲法上の権利です。住宅を失った人には元の土地で住宅を再建する権利があります。事業を失った人には元の場所で事業・生産を再開できる権利があります。コミュニティーを維持する権利があります。憲法尊重擁護義務を負う国や自治体はこれら住民の諸権利を侵害することがあってはなりません。また、被災者には復旧・復興にあたり国や自治体に必要な援助(例えば、二重口ゞン解消立法、災害救助法の適用、被災者生活支援法の適用等)を求める権利があります。さらに、県や地元自治体の「復興計画」、「まちづくり」に参加し意見を表明できる権利があります。その際、憲法が保障する男女平等の観点から復興における女性の役割を高めることが求められています。

宮城県における復旧・復興は、このような被災者の権利性を基本にすえ、国・自治体の責任による被災者の生活・事業・生産再建と、被災者の意思に基づいた復興(少なくとも被災者の納。得が得られる復興)が目指されなければなりません。

阪神淡路大震災の際、行政の「単なる復興ではなく創造的復興を」の スローガンのもと、経済復興を優先した住民不在の都市計画が強行され、その結果神戸空港や立派な商業施設等ハコモノ作りに終始しました。一方、住民は山間部の仮設住宅等に追いやられコミュニティーが破壊されたまま多数の孤独死が発生しました。生活再建のための助成の要求も「私有財産に補償なし」の一言で切り捨てられました。このように、阪神淡路のときの「復興」は被災者の要求を無視し、憲法の理念を裏切るものでした。この宮城県で同じ過ちを許してはなりません。

三 宮城県の未来への共同責任、文化の承継

宮城県は水産業を特徴の一つとする県です。漁業権のあり方は漁民の基本的人権・生活権・、宮城県の環境保全、乱獲防止・資源管理・、県民に対する安定的な食料供給に密接に関係します。それは、国連の「生物多様性条約(1993年12月)」及び同「責任ある漁業の行動規範(1995年10月)」に沿ったものであり、日本の漁業権は国際的な「規範」に沿ったものでもあります。よってその復興は、宮城県のありようを決定するとともに、消費者への貴重な蛋白源の安定的供給、多様な魚の味を楽しむ食文化を保障するものです。

そこで、復興ビジョンは被災者(地)の考えを基本としつつ、全県民が参加し宮城県の未来を共有する必要があります。つまり、全県民も未来づくりに参加し、実現する共同責任があると考えます。

また、被災した主な産業は一次産業である水産業や農業です。いずれも古来からの伝統的技能、技術、思想によって今日まで発展してきたものです。そして、これら第一次産業は宮城県の文化の形成及び住民の生活に密着する重要な影響を与えてきました。よって、それらの伝統的文化と生活を復権することも重視する必要があります。

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四 宮城県震災復興計画(第2次案)に対する批判

1 はじめに

宮城県は、本年4月22日に「宮城県震災復興基本方針(素案)」、本年6月17日「宮城県震災復興計画」(第1次案)に引き続き、本年7月6日「宮城県震災復興計画」(第2次案)(以下「第2次案」と言います)を決定・発表しました。

2 基本理念総論について(第2次案・1頁)

「2 基本理念」を読んでも、どこにも「住民の権利」、「被災者の権利」という言葉がないばかりか、その理念が全くないと言っても過言ではありません。生活再建が被災者の権利であるとの見地が欠落しています。また。被災者の意思にもとづく復興(少なくとも被災者が納得できる復興計画)という見地もありません。これは致命的な欠・陥です。その代り、あるのは「復旧にとどまらない再構築を」というキーワードです。これは、阪神淡路のときの「単なる復興ではなく創造的復興を」というスローガンの焼き直しにすぎず、阪神淡路復興の失敗の再来を十分に予感させるものです。すでに指摘したように、復旧・復興は住民の権利の復権であり、単なる経済復興ではないことを銘記すべきです。

3 基本理念1(災害に強く安心して暮らせるまちづくり)について

それ自体を否定するものではありませんが、所詮人間は自然災害には勝てないとの前提で考えるべきです。津波と競うように防潮堤等に巨額の費用を投じたり、住民の意思を無視して「高台移転」を強行するよりも、津波避難用建物・タワー設置等避難施設の充実、避難経路確立等を重視すべきです。

4 基本理念2(県民一人ひとりが復興の主体・総力を結集した復興)について

被災者・被災地の意見を聞くという視点が欠けています。「県勢の復興とさらなる発展を図る」とありますが、被災者の立場が欠落しています。

5 基本理念3(「復旧」にとどまらない抜本的な「再構築」)について

すでに指摘したとおり、阪神淡路のときのスローガンの焼き直しにすぎません。被災者・被災地の願いは、まず3・11 以前の状態への復旧です。

この点で、隣県である岩手県の岩手県復興基本計画(本年6月)が、「県民の安全確保」、「暮らしの再建」、「なりわいの再生」の3つを復興に向けた原則として位置付けているのと対照的です。

また、県の水産業の「再構築」は、漁港の集約化、民間資本導入を促進する「宮城県水産業復興特区」の創設を意味しますが(第2次案12頁)、この点でも岩手県復興基本計画が「漁業協同組合を核とした漁業、養殖業の構築と産地魚市場を核とした流通・加工体制の構築」、「水産業再生の方向性を踏まえた漁港、漁場、漁村生活環境基盤、海岸保全施設の復旧・整備」を謳っているのと著しく対照的です。

6 基本理念4(現代社会の課題を解決する先進的な地域づくり)について

人口減少、少子高齢化等はなぜそうなったのかを総括するところから始めるべきです。今回の震災の40年以上前から県内では少子高齢化、第1次産業の衰退などの現象がありましたが、それに対する抜本的施策、政策を県当局は持ちませんでした。中央からの企業誘致に血眼をあげ、いのちを脅かす原発を受け入れ、第1次産業の衰退を放置してきた従来の県政策についても、この復興にあたり総括を求めたいと思います。

7 基本理念5(壊滅的な被害からの復興モデルの構築)について

具体的なモデルは上から示すものではなく、地域モデルの積み上げで示すものではないでしょうか。村井知事のこの間の、「農地の大規模化と企業の参入」、「漁港の集約化」、「水産特区の導入」、「災害対策税」、実質的な「道州制」導入等の発言と合わせ考えると、宮城県はTPP、道州制、消費税導入を視野に入れているものとの危惧を払しょくできません。

8 その他

①震災の規模を想定できなかったこと及び被害を拡大したことへの反省と総括がありません。

②救援活動が長期化したことに対する総括
宮城県が仙台一極集中による機能麻痺、構造改革と平成大合併による自治体職員減らし、合併によるコミュニティ崩壊、行政業務の“合理化”による市町民サービスの低下などが、被害を極大化し、救援活動もきわめて不十分になったことなどの基本的総括がありません。

五 私たちは女川原発の撤退を求めます

すでに指摘したように、福島原発事故による放射能被害は、福島県のみならずこの宮城県においても深刻化しています。東日本大震災で女川原発も福島原発のような事故まで紙一重の状態でした。私たちは、女川原発の運転再開に反対し、同原発の撤退を求めます。

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